HOME

宮城県の句碑・歌碑・詩碑
塩竃市
塩竃百人一首 91〜100
・場所:宮城県塩釜市本町 塩竃曲水  Yahoo地図 
・現代語訳:東北福祉大学教授 花井滋春

No91 藤原 定子(ふじわらの ていし/さだこ)
通称:
一條院皇后宮
(いちじょういんのおおきさきみや)
・説明:977−1001年 平安時代 一条天皇の皇后 清少納言が仕えた女性である。 
新古今和歌集 
いにしへの あまや煙と なりぬらむ 人めもみえぬ しほがまのうら
 歌意:いにしえの海人が皆死んでしまって、煙となって昇っているのだろうか。人の行き来も海藻もみられない塩釜の浦であるよ。





No92 入道 前関白太政大臣(にゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)
/藤原忠通(ふじわらのただみち)
・説明:1097−1164年 藤原忠実の息子 平安時代後期から末期の公卿。藤原師通の長男
    号:法性寺関白
新古今和歌集
ふるゆきに たくもの煙 かきたえて さびしくもあるか しほがまのうら
 歌意:降る雪で、藻塩焼く煙がすっかりと消えてしまい、寂しいことです。塩釜の浦は。





No93 前中納言為忠/二条 為忠(にじょう ためただ)
・説明:1309−1373年 南北朝時代の公卿、歌人
新葉和歌集
しほがまの うらかなしかる ふなでかな 霧の籬の 島がくれして
・歌意:塩竈の浦を出る舟は籬島の霧に包まれるようにして姿を消していく。その風情は何とはなしにもの寂しく感じられることだ。 





 No94 藤原 為道 朝臣(ふじわら ためみち あそん)
・説明:二条 為世の子 鳥羽院の寵愛を受けていた藤原為道とは、鳥羽院とのつながりを持ちたくて関係した。
新千載和歌集
こぐ船も 浪のいづくに まよふらん 霞のおくの しほがまのうら
 歌意:艪を漕ぐ船は今頃、波間で迷っていることだろう。春霞の奥深くに紛れるように横たわる、塩竈の浦を目指すのでは。





No95 政弘(まさひろ)/大内 政弘(おおうち まさひろ) 
・説明:1446−1495年 室町・戦国時代の武将
    別名:新介
拾塵和歌集 
都にも いかが移さむ 塩竈や 塩干塩満ち 変わる眺めは
 歌意:都にも、何とかしてこの美しい眺めを移したいものだ。潮が引いたり、満ちたりする度にその風情を変える塩竈の勝景を。





No96 覚盛 法師(がくじょう ほうし)
・説明:1194−1249年 鎌倉時代中期の律宗の僧
夫木和歌抄
秋はなほ たちそふなみと 見ゆるかな まがきのしまの しらぎくの花
 歌意:籬島の白菊の花が咲き競う秋は、なお一層白波が立っているように見えることですよ。



 

 No97 太上 天皇(だいじょう てんのう、だじょう てんのう)
/後嵯峨院(ごさがのいん)
 
・説明:1220−1272年 土御門天皇の第一皇子。母は贈皇太后源通子(土御門通宗女)
  ※太上天皇:皇位を後継者に譲った天皇に贈られる尊号
 
続後選和歌集
しほがまの うらのけぶりは たえにけり 月見むとての あまのしわざに
 歌意:塩竈の浦に立ち上る煙は絶え果ててしまったなあ。月を見ようとして、海人が塩焼きを中断したので。




 

 No98 具親 朝臣(ともちか あそん)/源 具親(みなもとの ともちか)
・説明:生没年不詳 鎌倉時代初期の官人・歌人 新三十六歌仙の一人
夫木和歌抄
はるの月 まつにかすみを ふかみどり やまのはもなき しほがまのうら
 歌意:春の月が松に懸かり、深緑の山の端も塩竈の浦も、霞の深まりの中に溶け込んで姿を消していくようです。





No99 僧正 行意(そうじょう ぎょうい)  
・説明:1177−1217年 平安時代末から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧 歌人
    父は関白太政大臣藤原基房。通称:山科僧正 新三十六歌仙の一人
建保名所百種
月影の いづくはあれど 春のよの 霞にくもる 塩がまのうら
 歌意:月の光が美しい名勝はいくつもあるでしょうが、何と言っても、春の夜の朧月に照らされた塩竈の浦の景色に勝るものはございません。



 

 

No100 堀河 天皇(ほりかわ てんのう)  
・説明:1079−1107年 第73代天皇 白河天皇の第二皇子
大言海所引
あけくれに さぞな愛で見む 塩釜の 桜の本に 海人のかくれや
 歌意:朝に晩に、いかにも本当に塩釜桜を愛でましょう。その花の下には、海女の隠れ家もあるでしょうから。