藤原 俊成 女/(ふじわらの としなりの むすめ)
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塩竃曲水
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・場所:塩竃市西町
「塩竈曲水」は、道路整備に合わせて地下に埋設された祓川を、利府町春日を水源とする権現堂浄水場の越流水を利用し再現したものである。
この流れに沿って「塩竈百人一首」を掲示し、「曲水の宴」の創造を図っている。
塩竃の歌枕:赤字 |
| 藤原 俊成 女/(ふじわらの としなりの むすめ) |
・説明:1171?−1254?年 藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条
別名:皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女、侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼嵯峨禅尼、越部禅尼
鎌倉時代前期の歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人
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塩竃の浦
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| 最勝四天王院和歌 |
あさくても 春と分けたる 朝ぼらけ かすめる浪は しほがまのうら
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あさくても はるとわけたる あさぼらけ かすめるなみは しおがまのうら
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| 歌意:春がまだ浅いのに、朝の波が霞んで見えるのは、春の霞ではなく塩釜の浦の塩を焼く煙ですね。 |

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| 塩竃曲水 |
・場所:塩竃市西町
「塩竈曲水」は、道路整備に合わせて地下に埋設された祓川を、利府町春日を水源とする権現堂浄水場の越流水を利用し再現したものである。
この流れに沿って「塩竈百人一首」を掲示し、「曲水の宴」の創造を図っている。
塩竃の歌枕:赤字 |
藤原 俊成 女(ふじわらの としなりの むすめ)
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・説明:1171?−1254?年 藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条
別名:皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女、侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼嵯峨禅尼、越部禅尼
鎌倉時代前期の歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人 |
千賀の塩竃
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夫木和歌抄
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ゆめにこそ 宮このことも みるべきを そでになみこす ちかのしほがま
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ゆめにこそ みやこのことも みるべきを そでになみこす ちかのしおがま
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| 歌意: |

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阿武隈川
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| ・場所:宮城県柴田町槻木下町 阿武隈川槻木大橋歩道 Yahoo地図 |
| 藤原 俊成 女(ふじわらの としなりの むすめ) |
・説明:1171?−1254?年 藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条
別名:皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女、侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼嵯峨禅尼、越部禅尼
鎌倉時代前期の歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人 |
建保名所百首
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空清き 雲ゐの秋の よろずよに 逢くま河の 波の月かげ
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そらきよき くもゐのあきの よろずよに おうくまかわの なみのつきかげ
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歌意:
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2014.4.22

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宮城野(みやぎの)を詠んだ歌
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・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は萩の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「露」「月」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。 |
藤原 俊成 女(ふじわらの としなりの むすめ)
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・説明:1171?−1254?年 藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条
別名:皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女、侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼嵯峨禅尼、越部禅尼
鎌倉時代前期の歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人
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宮城野の 秋にみだるる 虫の音に 露とふ風を そでにまがへて
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みやきのの あきにみだるる むしのねに つゆとふかぜを そでにまがへて
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歌意:
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