能因 法師(のういん ほうし)
|
・説明:988−没年不詳 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
俗名:橘永ト(たちばなのながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称
|
塩竃曲水
|
・場所:塩竃市西町
「塩竈曲水」は、道路整備に合わせて地下に埋設された祓川を、利府町春日を水源とする権現堂浄水場の越流水を利用し再現したものである。
この流れに沿って「塩竈百人一首」を掲示し、「曲水の宴」の創造を図っている。
塩竃の歌枕:赤字
|
さ夜ふけて 物ぞかなしき しほがまの ももはがきする しぎのは風に
|
さよふけて ものぞかなしき しおがまの ももはがきする しぎのはかぜに
|
| 歌意: |

|
|
野田の玉川(のだのたまがわ)
|
・場所:宮城県塩竃市玉川1丁目−5 野田の玉川 Yahoo地図
・昔はこのあたりまで潮が満ち月見にいい場所とされ、その面影を残し整備が行われています。
|
新古今和歌集
|
夕されば 潮風こして 陸奥の 野田の玉川 千鳥鳴くなり
|
| ゆうされば しおかぜこして みちのくの のだのたまがわ ちどりなくなり |
歌意:夕方になって潮風が越してくると、千鳥が鳴くという、みちのくの野田の玉川
夕方になると、塩気をふくむ風が吹いてきて、陸奥の玉川に千鳥の鳴く声が聞える。
|
1787年 塩竃の俳人 白坂文之 建立
|
2004

2004

|
宮城野を詠んだ歌
|
能因(のういん)
|
・説明:988−没年不詳 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
俗名:橘永ト(たちばなのながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称 |
宮城野を 思い出つつ 植えにける 本荒の小萩 花咲きにけり
|
みやぎのを おもいいでつつ うえにける もとあらのこはぎ はなさきにける
|
歌意:
|
|
| 東北の歌枕の地 |
末の松山(すえのまつやま)
|
・場所:宮城県多賀城市八幡2丁目 宝国寺 Yahoo!地図
|
能因集
|
白浪の 越すかとのみそ 聞こえける 末の松山 松風の声
|
しらなみの こすかとのみそ きこえける すえのまつやま まつかぜのこえ
|
歌意:
|
|
| 東北の歌枕の地 |
二木の松碑(ふたきのまつ)/武隈の松(たけくまのまつ)
|
・場所:宮城県岩沼市二木2丁目2番(二木の松史跡公園) Yahoo!地図
・説明:歌枕「武隅の松」として有名
現在は7代目で何代も植え替えしていつ植えたがわかる。 |
| みちの国にふたたび下りて後のたびたけくまの松も侍らざりければよみ侍りける |
後拾遺和歌集
|
武隈の 松はこのたび 跡もなし 千歳を経てや 我は来つらむ
|
たけくまの まつはこのたび あともなし ちとせをへてや われはきつらむ
|
歌意:
|
|
東北の歌枕の地 象潟を詠んだ歌
|
後拾遺和歌集
|
世の中は かくても経けり きさかたの あまの苫屋を わが宿にして
|
よのなかは かくても きさかたの あまのとまやを わがやどにして
|
歌意:
あまの苫屋:粗末な漁師小屋 |
|
| いわき市小名浜藤原川沿い |
| ・場所:いわき市小名浜野田 Yahoo!地図 |
夕されば 汐風こして みちのくの 野田の玉川 千鳥なくなり
|
ゆうされば しおかぜこして みちのくの のだのたまがわ ちどりなくなり
|
歌意:夕方になって潮風が越してくると、千鳥が鳴くという、みちのくの野田の玉川
夕方になると、塩気をふくむ風が吹いてきて、陸奥の玉川に千鳥の鳴く声が聞える。
|
1944年(昭和19年) 建立 揮毫:星製薬社長 星 一
|
|
東北の歌枕の地 白河の関(しらかわのせき)
|
| ・場所:白河市旗宿字関の森 Yahoo!地図 |
古歌碑
|
都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
|
みやこをば かすみとともに たちしかど あきかぜぞふく しらかはのせき
|
歌意:春霞が立つときに都を発って来たけれど、ここ白河の関に来ると秋風が吹いている。
|
1889年(明治22年) 古関村初代村長菊池甚四郎 建立
|
|