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藤原 秀能(ふじわらの ひでよし/ひでとう)

塩竃曲水
・場所:塩竃市西町
 「塩竈曲水」は、道路整備に合わせて地下に埋設された祓川を、利府町春日を水源とする権現堂浄水場の越流水を利用し再現したものである。
 この流れに沿って「塩竈百人一首」を掲示し、「曲水の宴」の創造を図っている。
 塩竃の歌枕:赤字
 
 藤原 秀能(ふじわらの ひでよし/ひでとう)
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人
 あま人の  浪間にみゆる  白妙の   衣手かすむ   しほがまのうら
 あまひとの なみまにみゆる すらすなの ころもてかすむ しおがまのうら
  歌意:
 



姉歯の松 
・場所:宮城県栗原市金成梨崎待井24-2 Yahoo!地図
・説明:伊勢物語に「栗原や姉歯の松の人ならば、都のつとにいさといわましを」在原業平と詠まれ、平安朝物語文学ではみちのくの歌枕となった。
芭蕉の「奥の細道」にも記述があり、俳句ファンが多く訪れる。
 又、悲しい伝説も残っている。
 伝えによれば、全国から「女官」を選んだ時、陸奥国の代表に奥州気仙郡高田の豪農の「朝日姫」が選ばれ、船の旅に出たが、途中大嵐となり、船を降りて陸路を通った。姉歯の里にたどり着いたところで重い病気になり死んでしまう。
 その後、朝日姫の妹である夕日姫が代わりに都へ向かうことなり、旅路の途中で姉歯の地に立ち寄り、
 悲運な姉の墓に松の木を植えて墓印とした。薄命の姉を思い夕日姫が植えたこの松が、姉歯の松である。この姉妹の話が、歌枕として詠まれる様になった。
  
栗原の 姉歯の松を 誘いても 都はいつと 知らぬ旅かな
 歌意:







宮城野通り和歌十首
・場所:宮城野区榴岡   Yahoo!地図
 藤原 秀能(ふじわらの ひでとう)(ひでよし)
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人 
 宮城野(みやぎの)
如願法師集
 宮木のの  萩の古枝に    霜さえて  かわらぬ月に  秋ぞのこれる
 みやぎのの はぎのふるえだに しもさえて かわらぬつきに あきぞのこれる
 歌意:
 2013.2.21





宮城野(みやぎの)
・場所:仙台市宮城野区宮城野
藤原 秀能(ふじわらの ひでとう)(ひでよし) 
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人  
 宮城野の  うつろふ秋に  あしびきの 山立ちならし  鹿ぞ鳴くなる
 みやぎのの うつろふあきに あしびきの やまたちならし しかぞなくなる
 歌意:

阿武隈川槻木大橋

阿武隈川
 ・場所:宮城県柴田町槻木下町 阿武隈川槻木大橋歩道 Yahoo地図
 藤原 秀能(ふじわらの ひでとう)(ひでよし) 
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人   
景勝四天王院和歌
 年経ても  あぶくま河の  友千鳥   なく音身にしむ 夜半の月影
 としへても あぶくまがわの ともちどり なくねみにしむ やはんのつきかげ
 歌意:
2014.4.22