| 顕昭(けんしょう) |
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| ・説明:1130?−1209?年 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌僧 |
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| 東北の歌枕の地 |
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| 松ヶ浦島(まつがうらしま)/御殿崎(ごてんざき) |
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| ・場所:七ヶ浜町松ヶ浜 Yahoo!地図 御殿崎は平安時代には松ヶ浦島と呼ばれ、当時の和歌の枕言葉として、その名は京の都まで知られていました。松ヶ浦島は、松ヶ浜地方の総称で、その中心が御殿崎だったのです。実際に、平安の大宮人(おおみやびと)(京都の宮中に住まう人々)は、松ヶ浦島を歌会の歌題としました。 清少納言は『枕草子』の中で、「島は浮島、八十島、風流(はなれ)島、水島、松ヶ浦島、籬(まがき)島」とあげ、註に「松ヶ浦島、籬島は陸奥(みちのく)。 浮島、八十(やそ)島、島にあらず・・・」と説明するほど、多くの歌人がこの地を歌の題材として取りあげました。 藩政時代になると、仙台藩主伊達家の遊覧地となりました。その中心となったのが、伊達政宗が松ヶ浜でもっとも眺めのよい鴻ヶ崎(こうがさき)に建てさせた仮館でした。その後、鴻ヶ崎は、お殿様の仮館が建つところという意味から御殿崎と呼ばれるようになり、その地名が今も残されています。 また『続古今集』に「心ある蜑(あま)(海に入って貝・海藻をとる女性)や植ゑけん春毎に藤咲きかかる松ヶ浦島」(後嵯峨帝)とあるように、いにしえの御殿崎は、藤の花が美しく咲き誇る地としても知られていました。 |
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