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宮城県の句碑・歌碑・詩碑
歌枕 しおがまの浦
・説明:宮城県塩竃市。陸奥国松島湾内の塩釜。塩の生産地として有名な歌枕
シオーモNo40(No13)/大納言経信
けぶりたつ あまのとまや も見えぬまで かすみにけりな しほがまのうら
 意:塩を造るために出る煙は、海人の苫屋も見えないほど、春霞が出ているような塩竃の浦
    苫屋:スゲやカヤなどで作った家



 
 シオーモNo44(No17)/源俊頼朝臣
いつしかと 霞みにけりな しほがまの浦ゆく舟の みえまがふまで
 意:いつの間にかすっかりと霞んでしまったなあ。塩釜の浦を漕ぎゆく舟が霞の中に紛れるほどであるよ。



シオーモNo48(No44)/源忠季
しほがまのうらにけぶりは たつらめど 見えぬやはるの かすみなるらん
 意:塩釜の浦に塩焼く煙こそ立ちますが、春に霞は現れないのでしょうか。霞と煙の区別がなかなかつけ難いのです。



シオーモNo49(No43)/従三位政子
朧夜の 月にたくもの 煙だに 霞みなそへそ 塩がまの浦
 意:せめて朧月夜の晩だけでも、塩焼く煙を春霞に添えないでおくれ。塩竈の浦よ。



シオーモNo50(No42)/宮内卿 
あかで入る 月をみよとや 奥つかぜ 煙ふきしく しほがまの浦
 意:塩竈の浦では塩焼く煙が一面に漂って、月を鑑賞することができません。満足しないうちに沈みゆく月を堪能しなさいということなのでしょうか、塩竈の浦を頻りに陸奥の風が吹き抜けていきます。



シオーモNo55(No35)/能宣朝臣
しほがまの うらにすむとも をし鳥の とふことのはを いつかわすれん
 意:例え塩竈の浦に住んだとしても、鴛鴦(おしどり)が約束を忘れないように、どうして鴛鴦の契りを忘れましょうか。決して忘れは致しません。



シオーモNo58(No31)/法印定為上 
春のくる いづくはあれど 朝霞 けぶりに深き しほがまの浦
 意:春の訪れが美しいどの地と比べても、朝霞が深く煙る、塩竈の浦の景色ほど素晴らしいところはありますまい。  



 シオーモNo60(No29)兼盛の大君
しほがまの うらにはあまや たえにけん などすなどりの みゆる時なき
 意:塩竈の浦に海人がいなくなってしまったからでしょうか。どうして漁をする姿が見られないのでしょう。同じように、塩竈の浦には「天(あま)」がなくなったからでしょうか。ここ名取の御湯には、雲の通い路を行く鳥の姿がまったく見えません。



シオーモNo62(No27)紫式部
みし人の 煙になりし 夕より なぞむつまじき しほがまの浦
 意:死んでしまった人が煙になってしまった夕暮れ時、塩釜の浦の煙がどうして慕わしく感じないことでありましょうか



シオーモNo66(No24)/法橋宗円

松風に 月影よする 白波の かへるもをしき しほがまの浦
 意:松風に月の光が差し込み、塩竈の浦には白波が寄せては返っていく。あまりの美しさに、波も帰るのを惜しんでいるかのようだ。



シオーモNo67(No40) /入道前太政大臣
あまのたく 煙よりこそ 塩がまの 浦のかすみは 立ちはじめけれ
 意:藻塩を焼く海人の煙が始まりとなって、塩竈の浦の霞は立ちはじめたのだなあ。



シオーモNo69(No22)/秀能
あま人の 浪間にみゆる 白妙の 衣手かすむ しほがまのうら
 意:海人が波の間に見え隠れしている。その塩竈の浦には霞がかかって海人の衣の袖もぼんやりと見えることだ。



 
シオーモNo73(No75)/(安法)
としふりて あまそなれたる 塩竈の うらのけぶりは まだぞのこれる
 意:融大臣が亡くなって、年月が経った今でも、塩竈を象ったこの河原院では海人の塩焼く遺風が伝えられて、煙を立てていることです。



 
シオーモNo75(No97)/従三位行能
おなじくは こえてやみまし しらかはの せきのあなたの しほがまのうら
 意:同じ東国を旅するならばいっそのこと白河の関を越えて、そのはるか彼方にある風光明媚な塩釜の浦まで訪れてみたいものです。



シオーモNo77(No77)/(和泉式部)
塩がまの うらなれぬらん あまもかく わがごとからき ものはおもはじ
 意:塩竈の浦で藻塩を焼きつつ思い煩うことに慣れている海女でさえも、私のように辛い物思いはしないことでしょう。



 
シオーモNo78(No65) /為冬朝臣
しほがまの 浦より外も かすめるを おなじ煙の たつかとぞみる
 意::塩竈の入り江の内側も外側も、同じように霞がかかっています。まるで、遙か遠い沖の方でも塩焼く煙が漂っているように思われます。



 シオーモNo79(No55)/後鳥羽院御歌
 しほがまの うらのひがたの あけぼのに かすみにのこる うきしまの松
 意:夜がほのぼのと明けはじめる頃に、塩竈の浦には春霞がかかり、そのぼんやりとした中に浮島の松がうっすらと見えることですよ。



シオーモNo80(No66)/(頓阿) 
夕霧の まがきの島や これならん 波にぞはれぬ しほがまの浦
 意:夕霧に包まれた籬の島とは、こういうことを言うのだなあ。塩竈の浦の波ではないが、並一通りのことでは晴れやらぬ風情であるよ。