| 宮城県の句碑・歌碑・詩碑 |
歌枕 しほがまのうら、しおがまの浦
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・説明:宮城県塩竃市。陸奥国松島湾内の塩釜。塩の生産地として有名な歌枕
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シオーモNo82(No74)/権中納言公雄
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塩がまの 浦のけぶりの 一すぢに たつともみえず かすむ空かな
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| 歌意:塩竈の塩焼く煙は尋常に立っているとも思われません。それほどに霞がかった空模様なのです。 |

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| シオーモNo84(No98)/ 前中納言定家卿 |
・説明:1162−1241年 鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原俊成の子 「ていか」と音読みされることが多い。 |
さとわかず もろこしまでの 月はあれど 秋のなかばの しほがまのうら
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| 歌意:故郷がどこともわからないほど遠い異国の地にあって眺める月の美しさもさることながら、仲秋の名月が照らし出す、ここ塩竈の浦の美しさは譬えようのないものです。 |
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| シオーモNo85(No58)/順徳院天皇 |
| ・説明:1197−1242年 鎌倉時代 第84代天皇 別名:佐渡院 |
くものなみ 煙のなみは はれながら おぼろ月よの しほがまのうら
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歌意:雲の波、そして塩焼く煙の波は晴れ上がっても、それでもなお塩釜の浦は春のおぼろがかった霞の中に月が佇んでいるのですね。
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シオーモNo89(No78)/藤原康光
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・説明:1221年順徳上皇が佐渡へ流された時、お供をし、1243年お骨を京都に捧持し、大原の法華堂に納めた。
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みわたせば たくもの煙 立ちわかれ かすめる方や しほがまの浦
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歌意:見渡すと藻塩を焼く煙は左右に分かれて棚引いています。そのなかで、霞の濃くかかった方角が塩竈海岸なのですね。
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シオーモNo91(No84)/一條院皇后宮
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・説明:977−1001年 平安時代 一条天皇の皇后 清少納言が仕えた女性である。
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いにしへの あまや煙と なりぬらむ 人めもみえぬ しほがまのうら
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歌意:いにしえの海人が皆死んでしまって、煙となって昇っているのだろうか。人の行き来も海藻もみられない塩釜の浦であるよ。
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| シオーモNo92(No50)藤原忠通 |
・説明:1097−1164年 藤原忠実の息子 平安時代後期から末期の公卿。藤原師通の長男 号:法性寺関白 |
ふるゆきに たくもの煙 かきたえて さびしくもあるか しほがまのうら
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歌意:降る雪で、藻塩焼く煙がすっかりと消えてしまい、寂しいことです。塩釜の浦は。
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| シオーモNo93(No81)/前中納言為忠 |
| ・説明: |
| しほがまの うらかなしかる ふなでかな 霧の籬の 島がくれして |
| 歌意:塩竈の浦を出る舟は籬島の霧に包まれるようにして姿を消していく。その風情は何とはなしにもの寂しく感じられることだ。 |

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| シオーモNo94(No69)/藤原為道朝臣 |
| ・説明:二条 為世の子 鳥羽院の寵愛を受けていた藤原為道とは、鳥羽院とのつながりを持ちたくて関係した。 |
| こぐ船も 浪のいづくに まよふらん 霞のおくの しほがまのうら |
歌意:艪を漕ぐ船は今頃、波間で迷っていることだろう。春霞の奥深くに紛れるように横たわる、塩竈の浦を目指すのでは。
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シオーモNo97(No100)/太上天皇
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・説明:1220−1272年 土御門天皇の第一皇子。母は贈皇太后源通子(土御門通宗女) ※太上天皇:皇位を後継者に譲った天皇に贈られる尊号 |
しほがまの うらのけぶりは たえにけり 月見むとての あまのしわざに
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| 歌意:塩竈の浦に立ち上る煙は絶え果ててしまったなあ。月を見ようとして、海人が塩焼きを中断したので。 |

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| シオーモNo98(No73)/具親朝臣 |
| ・説明:生没年不詳 鎌倉時代初期の官人・歌人 新三十六歌仙の一人 |
はるの月 まつにかすみを ふかみどり やまのはもなき しほがまのうら
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歌意:春の月が松に懸かり、深緑の山の端も塩竈の浦も、霞の深まりの中に溶け込んで姿を消していくようです。
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シオーモNo99(No82)/僧正行意
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月影の いづくはあれど 春のよの 霞にくもる 塩がまのうら
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| 歌意:月の光が美しい名勝はいくつもあるでしょうが、何と言っても、春の夜の朧月に照らされた塩竈の浦の景色に勝るものはございません。 |

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